EPISODE 7
ふぅ、と息を吐いた。
グラサン「それだけでよかった。それだけでよかったのさ。チンピラとサングラス、世間的にはろくでもねえ組み合わせだが、俺は満足だった。毎日が楽しかった」
子猫は水を飲んでいる。グラサンはかまわず続けた。
グラサン「だがある日、ご主人が新しいサングラスを連れて帰ってきた。昔ながらの暗いレンズの入った俺とは違って、ブルーのレンズが入っている見栄えのいい若えやつだ」
グラサン「最初の方こそ俺とそいつを交互に使っていたご主人だったが、そのうち俺は部屋に置き去りにされることが多くなってきた。数ヶ月が経過した頃にはもう、戸棚の隅で埃まみれだ。存在を忘れられたかのようだったぜ」
グラサン「おめえと一緒だよ。もう必要ねえとさ。惨めなもんだ」
子猫は満足げに前足を出して、ぐぐっと背筋を伸ばしている。
グラサン(それでも俺は認めなかった。てめえが必要とされてねえなんてことは。だからずっと待った。バカみてえにな)
グラサン(だが、ご主人が手にするのは、いつもあいつだった)
グラサン(ちょうどその頃だ。深夜、ご主人が寝静まる時間に、やつが付喪神となって俺に話しかけてきたのは)
青グラス『……ども』
グラサン『……おう』
青グラス『なんか……悪ィな、おっさん。おればっかになっちまってよ』
グラサン『うるせえ。同情なんざ迷惑だ。黙ってろガキが。てめえのレンズを指紋の皮脂でベタベタにしてやろうか』
青グラス『お、おいおい、勘弁してくれよ。ただでさえ色つきレンズだってのに、余計に見えにくくなっちまうじゃねえか』
グラサン(予想に反して、あいつはいいやつだった。せめて嫌なやつだったなら、憎むこともできたんだが。いいやつだったんだ)
グラサン(だが、だからこそ、やつの言葉は俺を抉った)
青グラス『あんたこそもう傷だらけじゃねえか。ずいぶん使ってもらったんだな。ある意味憧れるぜ』
グラサン『傷か。何年も使われて、何度も落っことされたからな。……そりゃあ、見えなくもなっちまうか……』
青グラス『……』
グラサン(だが同時にそいつは、サングラスとしての俺の寿命でもあった。お気に入りから外れただけなら、また時期がくればそのうち使ってもらえるだろう。そう考えてた。だが、違った)
グラサン(視力矯正を目的としたレンズでない以上、俺のようなサングラスはただの消耗品だ。部品の摩耗は、そのままメガネの寿命になる)
グラサン(だが、この若いサングラスに本心を知られんのは、ちょっとばかり癪だった。だからこう言ってやったのさ)
グラサン『つーわけで、別にてめえのせいじゃねえ。わかったらさっさとメガネに戻って寝ろ、ガキ。ご主人に見られでもしたら、喋るメガネなんぞ不気味がって捨てられんのがオチだ』
青グラス『あんたに他人の心配なんてしてる余裕があんのかよ。ったく、傷だらけで厳つい見た目してるくせに、お人好しだな』
夜の雨が傘を叩く音だけが響いていた。
子猫は眠そうにあくびをしている。エメラルドの瞳には、半分まで瞼が落ちていた。
グラサン(のんきなもんだ。捨てられたくせによ)
グラサン「それからも、ご主人が俺に手を伸ばすことはなかった」
グラサン「青グラスの若造は、外でのご主人との様子を夜な夜な俺に話してくれた。あいつは善意でやってくれていたんだろうが、俺にはちっとばかし堪えた。昔の俺との思い出が、全部あいつに塗り替えられていくんだ」
グラサン「そいつが限界に来たとき、俺はご主人が眠りに落ちる時間帯に、あいつの目を盗んで自ら消えた。野に下ったのさ。いっそ屑籠にてめえからダイブしてやろうかとも思ったが、拾われちまっちゃあ意味がねえからな」
グラサン「おい、聞いてんのか、猫ぉ?」
気づけば子猫は、段ボールの中で丸くなって眠っていた。
グラサン「……ちっ、興味ねえか」
グラサンはガリガリと頭をかきむしる。
ジャケットを透過して、雨が頭にしみこんできていた。雨はやみそうにない。いつまでも晴れない自身の気持ちのようだ。
???「興味あるある~」
グラサン「ぬおっ!? ……あ、ああっ!?」
気づけば近くに、OA メガネのハイテクが立っていた。
グラサン「おま、どうして……」
ハイテク「あたし、あんたと反対で夜にしか外出られないから~。だってほら、ブルーライトカットじゃあ、太陽はまぶしすぎるじゃない~?」
ハイテクがコンビニで買った弁当の包みを持ち上げて見せてくれた。メガネの付喪神とはいえど、実体化すれば空腹にもなるのだ。
グラサン「相変わらずのヒキコモリだな。……で?」
ハイテク「で? とは?」
グラサン「……てめえ、どこから聞いてやがった……?」
ハイテク「やぁねえ、そんなに前からはいないわよ~。デバガメ趣味はないし~」
グラサン「だから、どこからだ?」
ハイテク「猫にショバ代を払おうとしてたってあたりから~? ぷっ、くくっ」
グラサン「全部じゃねえかよクソがッ!!」
ーつづくー